還暦過ぎて家を離れ単身中國に赴く十五年一日の如く教え子は天下に満つ西安に在って普通の市民として生活し観察は鋭く文章は客観的身をもって実際にやり取りしたら、難しくないことに気付いた 花甲之年,離家獨(dú)赴中國;十五年如一日,桃李滿天下。生活在西安如最普通的市民,觀察銳利而書寫客觀。設(shè)身處地的交流之后,懂得其實(shí)不難。 本書簡(jiǎn)介: 2000年の夏、作者が初めて訪中したときのこと、乗車したバスが直接北京駅のプラットホームまで乗り入れるというVIP待遇を受ける。數(shù)日後、待遇は「國賓」から「従業(yè)員」に変化し、西安での住まいには奇怪なことが続発し、度重なる雇用契約交渉は難航し、「日本の古き良き時(shí)代が彷彿される中國の教室風(fēng)景」に感動(dòng)する。還暦を過ぎても仕事に勵(lì)み、中國の土地に深く根を張り、中國在住十五年間に及ぶ!2000年夏,作者首次來華,享受大巴直接開上北京站站臺(tái)的VIP待遇。幾天后,從“國賓”到“員工”,西安住宅內(nèi)屢現(xiàn)怪狀、合同反復(fù)交涉,卻被“與日本的美好舊時(shí)代相似的課堂風(fēng)景”所打動(dòng)。雖年逾花甲而勤懇扎根,一住十五年。以觀察和思考為使命,體味中國人的“歐美化”生活方式,揣摩“朋友”和一般人的不同,“大力推廣穿便裝的交流”,一一釋開對(duì)中國的誤解。學(xué)習(xí)與反思中筆耕不輟,這個(gè)日本人的中國日子里,藏著彼此理解的秘鑰。 作者簡(jiǎn)介: 嶋津訓(xùn)一(しまづ?くんいち)1936年日本國山梨県生まれ,國立山梨大學(xué)教育學(xué)部英語英文學(xué)科卒。卒業(yè)後教職に専心。2000年9月、「日中技能者交流センター」と「中國國家外國専家局」との協(xié)定に基づき訪中。以來一貫して西安市內(nèi)の大學(xué)等で、日本語、英語教育に従事! 島津訓(xùn)一,1936年出生于日本山梨縣,畢業(yè)于國立山梨大學(xué)教育系英文專業(yè),畢業(yè)后一直從事教師工作。2000年9月,根據(jù)“日中技術(shù)者交流中心”和“中國國家外國專家局”的協(xié)定來到中國,后一直在西安市的高校和企業(yè)從事日語、英語教學(xué)工作。 目錄: CONTENTS 前書き001 第一章初めて見る中國 ―驚きの旅の始まり― 雑踏?喧騒?無秩序の街、西安 『國賓』から『従業(yè)員』に 目錄: CONTENTS 前書き001第一章初めて見る中國 ―驚きの旅の始まり―雑踏?喧騒?無秩序の街、西安 『國賓』から『従業(yè)員』に學(xué)園風(fēng)景忘れられない『老師』たち回想――國賓として中國へまとめ――私の考察第二章中國人と日本人(一) ―外側(cè)から見える中國人の素顔―郷に入らば郷に従え日本人はすぐ分かる こんなに違う日中生活習(xí)まとめ――私の考察第三章中國人と日本人(二) ―內(nèi)側(cè)から見る中國人の素顔―人と人との距離 『朋友』と普通の人 まとめ――私の考察第四章中國人の素顔と日中友好への道―普段著の交流こそ― 誤解だらけの中國印象 中國人の生活から學(xué)ぶ 中國人の外國人観驚きの旅を終えて――日中友好のために まとめ――私の提案「普段著の交流こそ」第五章地震及び他の事情 『加油四川!加油北京!加油中國!』まさか中國にいる自分が巻き込まれるとは――金融危機(jī)問題(2008年9月) 「日本は危険です。家族を中國に呼んだら?」 ――東日本大震災(zāi)(2011年3月11日)
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