『方丈記』(ほうじょうき)は、鴨長(zhǎng)明(かものちょうめい、かものながあきら)によって書(shū)かれた中世文學(xué)の代表的な隨筆。 鴨長(zhǎng)明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結(jié)んだことから「方丈記」と名づけた。鎌倉(cāng)時(shí)代、1212年(建暦2年)に記されたとされるが、原本は殘っていないと見(jiàn)られる。現(xiàn)存する最古の寫(xiě)本は大福光寺本であり、しばしば研究の底本とされる。漢字と片仮名、もしくは漢字と平仮名の混ざった和漢混淆文で書(shū)かれたものとしては、最初の優(yōu)れた文蕓作品である。また、亂世をいかに生きるかという自伝的な人生論でもある。 吉田兼好の『徒然草』が書(shū)かれたのは、この後およそ100年後である。清少納言の『枕草子』とあわせて日本三大隨筆とも呼ばれる。 鴨長(zhǎng)明無(wú)常観の文學(xué)と言われる。冒頭で移り行くもののはかなさを語(yǔ)った後、同時(shí)代?または過(guò)去の災(zāi)厄についての記述が続き、後半には自らの草庵での生活が語(yǔ)られる。さらに末尾では草庵の生活に愛(ài)著を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定する。 作者簡(jiǎn)介 鴨 長(zhǎng)明(かもの ちょうめい、1155年(久壽2年) - 1216年7月26日(建保4年閏6月10日))は、平安時(shí)代末期から鎌倉(cāng)時(shí)代にかけての日本の歌人、隨筆家である。俗名はかものながあきら。 賀茂御祖神社の神事を統(tǒng)率する鴨長(zhǎng)継の次男として生まれた?{の門(mén)下に學(xué)び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが葉わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長(zhǎng)明(ちょうめい)として知られている。 出家の後、1212年に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文蕓の祖、日本の三大隨筆の一つとして名高い。他に同時(shí)期に書(shū)かれた歌論書(shū)の『無(wú)名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長(zhǎng)明集』(養(yǎng)和元年 1181年)といった作品がある。
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